伊藤忠商事

| 会社名 | 伊藤忠商事株式会社 |
|---|---|
| 創業 | 1858年(安政5年) |
| 設立 | 1949年(昭和24年)12月1日 |
| 代表者 | 代表取締役会長CEO 岡藤 正広 |
| 東京本社 | 〒107-8077 東京都港区北青山2丁目5番1号 |
| 大阪本社 | 〒530-8448 大阪市北区梅田3丁目1番3号 |
| 拠点数 | 国内7店 海外85店 |
| 資本金 | 253,448百万円 |
| 従業員数 | 4,215名 |
| 事業内容 | 繊維、機械、金属、エネルギー、化学品、食料、住生活、情報、金融の各分野において、国内、輸出入および三国間取引を行うほか、国内外における事業投資など、幅広いビジネスを展開。 |
| 上場証券取引所 | 東京 |
| 証券代行業務機関 | 三井住友信託銀行 |
| 適格請求書発行事業者登録番号 | T7120001077358 |
企業理念
三方よし
伊藤忠グループは、創業者・伊藤忠兵衛の言葉から生まれた「三方よし」の精神を新しい企業理念に掲げます。これは、1858年の創業以来、伊藤忠の創業の精神として現在まで受け継がれ、そして未来においても受け継いでいく心です。
「売り手よし」
「買い手よし」
「世間よし」
自社の利益だけでなく、取引先、株主、社員をはじめ 周囲の様々なステークホルダーの期待と信頼に応え、その結果、社会課題の解決に貢献したいという願い。
「三方よし」は、世の中に善き循環を生み出し、持続可能な社会に貢献する伊藤忠の目指す商いの心です。
※「三方よし」は、「売り手よし」「買い手よし」に加えて、近江商人がその出先で地域の経済に貢献し、「世間よし」として経済活動が許されたことに起源があり、現代サステナビリティの源流ともいえるもの。初代伊藤忠兵衛の座右の銘「商売は菩薩の業、商売道の尊さは、売り買い何れをも益し、世の不足をうずめ、御仏の心にかなうもの」が、その起源とされている。
企業行動指針
ひとりの商人、無数の使命
伊藤忠グループは、「ひとりの商人、無数の使命」を企業行動指針の言葉として掲げます。それは、「三方よし」に込めた思いを実現し、伊藤忠グループの社員が理想とする商いを実践する際の指針となる言葉です。
社員一人ひとりが、「求められるものを、求める人に、求められる形で」お届けするために、自らの商いにおける行動を自発的に考えることにより、伊藤忠の強みである「個の力」が発揮できる。そんな伊藤忠らしさをあらわすのが「ひとりの商人、無数の使命」です。
これはまさに、創業者・伊藤忠兵衛の商いの哲学であり、当社の企業理念「三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)」を実践するための道。わたしたちは日本を代表する総合商社として、これからも常に「商人魂」を原点に据えながら、売り手にも、買い手にも、世間にもより善い商い、より善い未来に向けて「無数の使命」を果たしてまいります。
| 1858 | 初代伊藤忠兵衛、大阪経由、泉州、紀州へ初めて麻布の持ち下りをする(伊藤忠商事創業)。 初代伊藤忠兵衛15歳のとき、行商の足を大阪、紀州あたりまで延ばし麻布(まふ)の「持ち下り」商いを始める。そして、翌年には岡山、広島、下関を経由して長崎に至る。このとき、日本はアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、オランダの5カ国と修好通商条約を結び、自由貿易時代が始まった。忠兵衛は「外国人、軍艦、商館を一瞥し、奇異の感を懐き、驚異の眼を開く」とともに、商いの道の無限の可能性を確信するのであった。 |
|---|---|
| 1872 | 大阪市東区本町2丁目に呉服太物商「紅忠」を創立。 大阪・東区本町2丁目、中橋筋東に呉服太物商「紅忠」が開店した。主力の取扱品は麻布全般と尾濃織物、関東織物であった。当時、大阪の呉服問屋街といえば伏見町であり、本町あたりには古着商が集まっていた。初代伊藤忠兵衛は、大阪に本拠を定めるにあたって将来の発展を見越し、あえて本町を選んだ。それは、船着場のある川口町からの道が本町へ通じており、しかも伏見町に比べると地価が半値以下であったからだという。 また開店と同時に「店法」を定め、当時としてはあまり例のない店員の権限と義務を明らかにし、若い店員にいたるまで、それぞれの持つ能力をひきだすことに努めたとされる。いわゆる「経営の民主化」ともいえる会議制度の採用など、人を信じ、有能な者を思い切って登用する人材育成は、初代伊藤忠兵衛の生涯にわたる重要な事業経営精神であったといわれる。 |
| 1884 | 紅忠を伊藤本店と改称。 |
| 1893 | 伊藤糸店を開店(伊藤忠商事の初め)。 綿糸卸商伊藤糸店を大阪・東区安土町2丁目に開店した。初代伊藤忠兵衛を店主にあおぎ、店主代理、後見支配人、主任など10名の陣容であった。利益三分主義の成文化、洋式簿記の採用、月刊誌「実業」の発行(織物業界の指導誌ともなり、一部は市販される)など、当時として画期的な経営方式を次々と取り入れ、店主と従業員の相互信頼の基盤を創りあげるとともに、合理的な経営を実現していく。 現在の伊藤忠商事は、この店が根幹となり、発展したものである。 |
| 1914 | 個人経営の組織を改め、伊藤忠合名会社を設立。 |
| 1918 | 伊藤忠商事株式会社を創立。ニューヨーク出張所を開設。 |
| 1928 | 海外向け社標をつくる。 社名C.Itohの頭文字をとってC.I.とした。初め海外向けの船積マークとして、 |
| 1941 | 伊藤忠商事、丸紅商店及び岸本商店の合併により三興株式会社を設立。 |
| 1944 | 三興、大同貿易及び呉羽紡績の合併により大建産業株式会社を設立。 |
| 1949 | 伊藤忠商事株式会社を設立。 |
| 1950 | 大阪証券取引所、東京証券取引所に株式上場する。 |
| 1952 | 伊藤忠アメリカ会社(現・伊藤忠インターナショナル会社)を設立。 |
| 1957 | 東京支社新社屋が完成(中央区日本橋本町2丁目)。 |
| 1967 | 東京支社を東京本社と改称し、大阪本社との二本社制とする。 |
| 1969 | 大阪本社新社屋が竣工。「創業100年記念新社屋完工披露パーティ」を開催。 昭和44年4月25日、創業100年記念式典が13階の大会議室で開かれた。社歌「世界をつなぐ」の披露、標語「世界をつなぐ伊藤忠」(C.Itoh cover the world)ならびに社訓「創意・工夫・実行」(Idea and Challenge)の発表があった。 |
| 1971 | 伊藤忠の仲介により、いすゞ自動車と米国GMとが全面提携に関する基本契約書に調印。 |
| 1972 | 総合商社で初めて、中国から友好商社に指定される。 1970年代に入り、伊藤忠商事は実りの季節を迎えていた。長年にわたる悲願でもあった「非繊維部門の拡大―総合化」が実現し、総合商社として躍進していった。日中貿易についても、伊藤忠商事は先鞭を切った。昭和46年12月14日付で「日中貿易4条件」を遵守することを正式に発表。社内に「中国室」を設け、中国との貿易促進に積極的に取り組み始めた。そして47年3月には、当時の越後社長を団長とするミッションが訪中、このとき中国から友好商社に指定され、その後の日中友好、日中貿易の推進に一役買った。田中角栄首相が日中国交正常化を実現したのはその後昭和47年9月29日のことであった。 |
| 1974 | 伊藤忠商事再発足25周年を記念し、財団法人伊藤忠記念財団を創設する。 伊藤忠商事は、戦後再発足25周年を機に財団法人伊藤忠記念財団を設立。青少年の健全育成を目的とした社会貢献活動をスタートした。 |
| 1977 | 安宅産業株式会社を合併。 |
| 1980 | 東京本社新社屋が完成(港区北青山2丁目)。 |
| 1989 | 日本初の民間通信衛星JCSAT-1の打ち上げに成功。 |
| 1992 | 新企業理念・新英文社名・新ロゴマークを制定。 平成4年6月1日、伊藤忠商事の新しい英文社名と企業理念が発表された。全世界の伊藤忠社員が参加し、1年という歳月をかけて国際総合企業にふさわしい社名と企業理念を検討したNew CI運動の実施により、日本語社名は変更せず、英文社名を「ITOCHU Corporation」とし、企業理念として「ITOCHU Committed to the global good.—豊かさを担う責任」をメインとしたThe ITOCHU CredoとThe ITOCHU Wayが制定された。ITOCHUの新ロゴマークをはじめ、これらのコーポレートシンボルは10月1日をもって実施となった。 |
| 1996 | 伊藤忠グループがサハリン石油ガス開発の民間筆頭株主となる。 |
| 1997 | ディビジョンカンパニー制を導入。 総合商社で初めて、環境マネジメント国際規格ISO14001認証を取得。 伊藤忠の国内外の取引は多様化し、経営環境も極めて速いスピードで変化している中、タイムリーな意思決定を行うためには、権限と責任を可能な限り現場に委ねる自己完結型経営が求められた。社内分社化の構想はここから生まれ、平成7年に社内で検討委員会が設けられ、平成9年度より導入した。その主なねらいとして、第一に、カンパニーの自主経営による最適経営体制の実施(カンパニーの特性に合わせた経営システムの構築、思い切った分権による迅速な意思決定、連結とB/Sを基軸とした経営手法の高度化)。第二に、Small&Efficientな総本社の構築。第三に、分権に対応する必要最小限のグリップの実現であった。三つの経営手法を実施することにより、業績と業容を改善・拡大し、収益力を強化することを図った。 |
| 1998 | 伊藤忠グループが株式会社ファミリーマートの株を取得。 |
| 1999 | 執行役員制を導入。 |
| 2001 | 伊藤忠丸紅鉄鋼株式会社を設立。 |
| 2002 | 伊藤忠兵衛記念館がオープン。 |
| 2005 | 中期経営計画「Frontier—2006 ~攻めへのシフトと守りの堅持~」をスタート。 連結純利益1,000億円超を達成。 株式会社オリエントコーポレーションと資本・業務提携。 |
| 2006 | 業務改革ITOCHU DNAプロジェクトがスタート。 |
| 2007 | 中期経営計画「Frontier+ 2008 ~世界企業を目指し、挑む~」をスタート。 |
| 2008 | 150周年社会貢献事業を発表。 |
| 2009 | 中期経営計画「Frontiere 2010 ~世界企業を目指し、未来を創る~」をスタート。 企業理念改訂を発表。 |
| 2011 | 中期経営計画 「Brand-new Deal 2012 ~稼ぐ!削る!防ぐ!~」をスタート。 大阪本社が本町から梅田へ移転。 |
| 2013 | 中期経営計画 「Brand-new Deal 2014 ~非資源No.1商社を目指して~」をスタート。 |
| 2014 | コーポレートメッセージ「ひとりの商人、無数の使命」を制定。 |
| 2015 | 中国CITIC Limited、タイCharoen Pokphand Group Company Limitedと戦略的業務・資本提携 中期経営計画 「Brand-new Deal 2017 ~挑戦~」をスタート。 |
| 2018 | 中期経営計画 「Brand-new Deal 2020 ~いざ、次世代商人へ~」をスタート。 |
| 2020 | グループ企業理念を「三方よし」に改訂、「ひとりの商人、無数の使命」をグループ企業行動指針に。 |
| 2021 | 中期経営計画 「Brand-new Deal 2023」をスタート。 |
| 2024 | 経営方針 「The Brand-new Deal」を公表。 |
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