世界で狩りは続く 国内IPを「グローバルIP」に変えた決断の物語
序章
据置機ゲーム市場が世界的に成熟し、多数の大作がひしめくなかで、日本発のシリーズが国境を越えて存在感を放ち続けることは容易ではない。国内では熱狂的な支持を集めながらも、海外では一部のコアファンにとどまるーーそんな状況を変えようとする企業があった。彼らは「グローバルIP(知的財産)」として世界中に愛されるタイトルへと進化させるべく、開発規模、販売戦略、組織体制のすべてを賭けた一手を選ぶ。失敗すれば、シリーズだけでなく企業全体の収益計画にも傷がつくリスクの高い賭けだった。これは、一つのタイトルへの大胆な集中投資が、企業の成長戦略そのものを塗り替えていく過程をたどる物語である。
この物語の主役となる企業はどこか
これは、株式会社カプコンの物語。大阪に本社を置く同社は、「バイオハザード」や「ストリートファイター」などの自社ゲームIPを軸に、世界へ作品を届けてきた企業だ。[1] デジタル販売の拡大が進むなか、旗艦IPをどう世界展開するかが経営上の課題だった。[1] その中で、協力プレイで巨大なモンスターに挑む「モンスターハンター」シリーズは、日本国内で社会現象と呼ばれる人気を持ちながら、長く「海外では十分に伸ばしきれていないIP」と見なされてきた。[2] このシリーズを世界同日発売と本格的なグローバルマーケティングで一気に「世界ブランド」へ押し上げようと決断した瞬間から、この物語は動き始める。
この物語ではどのような事を学べるのか
- 学び① グローバル展開では、作品のクオリティだけでなく発売タイミングやマーケティング、組織体制まで一体で設計することが成果を左右する。
- 学び② 世界同日発売と多言語対応は、国ごとの情報格差を減らし、口コミと評価を一気に世界へ拡散させる強力なレバーになりうる。
- 学び③ デジタル販売と継続的なアップデートを組み合わせれば、一つのタイトルを長期にわたり収益源と学習の場へ育てられるようになる。
どんな問題に直面していたのか
「モンスターハンター」シリーズは、携帯ゲーム機向けタイトルを中心に日本やアジアで爆発的なヒットを重ねてきたが、その成功は地域とプラットフォームに強く依存していた。[3] 据置機市場では欧米の競合作品が台頭し、グラフィックやオンライン機能の標準が急速に引き上げられていく一方で、シリーズは携帯機の制約を前提とした設計から抜け出せず、海外ユーザーには敷居の高いゲームだと受け止められがちだった。[2] また、発売日や対応言語が地域ごとに分かれていたため、口コミや動画配信が国境を越えて広がるまでにタイムラグが生じ、熱量が世界同時に高まらないという課題もあった。[2] さらに、パッケージ販売中心のビジネスでは、新作発売ごとに多額の開発投資を回収しきれなければ収益が大きく振れるため、IPのポテンシャルに見合う大胆な投資をためらう要因にもなっていた。[4] 国内でのブランド力に安住し続ければ、世界市場が拡大する中で相対的な存在感を失いかねない。「日本では圧倒的な人気だが、世界では限られたファン向け」――このギャップを埋められないことが、シリーズと企業の成長を縛る最大の問題になっていた。
どうやって解決しようとしたのか
株式会社カプコンが選んだ解決策は、シリーズ最新作『モンスターハンター:ワールド』を「グローバルIPへの跳躍台」と位置づけ、開発・販売・プロモーションを世界同時で設計し直すことだった。[2] 具体的には、高性能な据置機向けにゲーム体験を再構築しつつ、多言語対応とオンラインアップデートを前提とした長期運営型タイトルとして企画し、全世界で同日発売する方針を打ち立てた。[2][3] この方針は、デジタル販売比率の引き上げとIP強化を掲げる中長期の成長戦略とも整合していた。[4] 一作品への集中投資と世界市場を前提とした設計により、「国内中心のヒット作」を「世界で戦える基幹IP」へ変換しようとしたのである。
課題認識・対応方針
| 項目 | 詳細 | 根拠/出所 |
|---|---|---|
| 課題認識 | 携帯機中心・日本偏重でシリーズが成長してきた一方、据置機とデジタル販売が主流となる世界市場ではブランドの存在感が限定的であり、IPポテンシャルを十分に生かし切れていないという認識が共有されていた。 | シリーズ過去作の販売地域構成やプラットフォーム別販売実績、ならびに中長期の成長戦略に関する記述など。[2][3] |
| 対応方針 | 旗艦IPである「モンスターハンター」を据置機向けに再構築し、世界同日発売・多言語対応・長期運営を前提としたタイトルとして企画することで、グローバルIP化とデジタル販売比率の向上を同時に図る方針を採った。 | 統合報告書や成長戦略ページにおけるデジタル・グローバルシフト方針、および『モンスターハンター:ワールド』に関する公式解説。[1][2][4] |
| 方針の背景 | ヒットIPへの集中的な開発投資とデジタル長期販売を組み合わせることで、開発費の回収リスクを抑えつつ収益の安定化と成長を両立させる、という経営上の判断があった。シリーズの海外販売比率を高めることは、事業ポートフォリオ全体の分散にもつながる。 | 統合報告書におけるIP活用とデジタル販売戦略の説明、COOメッセージで語られる年間ソフト販売本数1億本を目指す方針など。[1][4] |
選択肢は何があったのか
| 選択肢 | 内容 | 期待できる効果 | コスト/難易度 | 出典 |
|---|---|---|---|---|
| A | 日本とアジアの携帯機向けタイトルを中心にシリーズ展開を継続し、既存ファン向けに安定した新作と派生作品を投入していく。 | 既存ユーザー基盤を前提とした比較的読みやすい売上が見込め、開発規模も過去タイトルのノウハウを活用しやすい。 | 開発投資は中規模に抑えやすい一方で、海外成長余地は限定的であり、中長期の売上・利益成長には限界がある。 | 一般的な携帯機向けシリーズビジネスの構造と、同シリーズ過去作の販売傾向からの推察。[2][3] |
| B | 地域ごとに最適化したバージョンや発売タイミングを設定し、段階的に海外向け展開を拡大する。欧米向けには難度調整やチュートリアル強化などを個別に行う。 | 地域ごとのニーズに合わせたローカライズが可能になり、リスクを分散しながら海外ユーザーを増やせる。 | 地域ごとに開発・運営リソースが分散し、スケジュールや品質の管理が複雑化しやすい。世界同時の話題化や口コミ拡散は起こりにくい。 | 他社タイトルの地域別展開事例や、過去の地域ごとの発売時期差に関する動向からの推察。[2] |
| C | 高性能据置機向けにゲーム体験を再構築し、全世界同日発売・多言語対応・長期運営を前提とした『モンスターハンター:ワールド』を開発する。 | 世界中のプレイヤーが同じタイミングで同じ体験を共有でき、口コミや動画配信がグローバルに拡散しやすい。デジタル販売や拡張コンテンツにより、長期的に収益を積み上げられる。 | 開発規模とマーケティング投資が大きくなり、初動で期待値を満たせなかった場合のリスクも高い。ただし成功すれば、IP価値と企業ブランドを大きく押し上げるポテンシャルがある。 | 『モンスターハンター:ワールド』の企画内容と世界同日発売、多言語対応、長期販売に関する公式説明・IR資料。[2][3][5] |
※A/Bは、業界一般の携帯機向けシリーズ展開および過去作の販売動向からの推察に基づく。一方、Cは実際に採用された選択であり、期待できる効果や難易度は公式資料と決算説明の記述を踏まえて整理している。
どの選択肢を選んだのか
実際に採用されたのは、世界同日発売と据置機向け開発を組み合わせた選択肢Cだった。顧客体験の軸では、「最新技術で描かれるハンティング体験」を世界のプレイヤーに同時に届けることで口コミと配信を一気に加速できると判断した。[2] 経済性の面でも、世界市場を前提とすることで大型開発費を回収しやすくなり、デジタル販売や追加コンテンツを通じて収益の尾を伸ばすシナリオが描けた。[4] 一方で、携帯機中心の継続や地域ごとの段階的展開はリスクが小さい代わりに成長余地が限られ、競合との差別化も難しいと整理された。旗艦IPだからこそ、安全策よりも「世界で勝ち切る」ための集中投資を選んだのである。
どうやって進めたのか
『モンスターハンター:ワールド』のプロジェクトでは、まず開発と販売を横断する専任チームを編成し、世界市場を起点に仕様とスケジュールを決める体制へと切り替えた。[2] ゲームデザイン面では、高性能据置機の性能を活かしたシームレスなフィールドやモンスター同士の縄張り争いなど、生態系の表現を強化し、シリーズ経験者だけでなく新規プレイヤーも没入しやすい導線づくりに注力した。[2] 一方、マーケティングでは初めて本格的なグローバル同日発売を行い、12言語への対応と海外イベントでの試遊会、開発者による現地プレゼンテーションを組み合わせ、発売前から世界中で期待値を高めていった。[2] 発売後は、大型拡張コンテンツやイベントクエストを継続的に提供し、デジタル販売を通じて長期的にプレイヤー基盤と売上を積み上げるモデルを採用した。[4] 社内では販売本数だけでなく、海外比率やデジタル売上比率、シリーズ全体のブランド指標を主要KPIとして共有し、経営層と現場が同じメトリクスで進捗を確認できるようにした。[4] 開発・販売・マーケティング・運営を一体で設計し、「発売して終わり」ではなく継続的な価値提供を前提とした体制を敷いたことが、このプロジェクトの大きな特徴だった。
- ステップ① 世界市場を前提に開発方針とターゲットを再定義し、専任チームとKPIを設定する。
- ステップ② グローバル同日発売に向けて各地域の販売会社・プラットフォーマーと販促計画を統合する。
- ステップ③ 発売後もアップデートとイベントを継続し、コミュニティ運営を通じてLTV(顧客生涯価値)を最大化する。
どんな結果になったのか
『モンスターハンター:ワールド』は、発売からわずか3日で世界出荷本数500万本を突破し、シリーズ最高のスタートを切った。[3] その後も販売を伸ばし、2018年5月には750万本に到達してカプコン史上最高の出荷本数タイトルとなり、同社の2018年3月期連結業績を大きく押し上げた。[6] さらにPC版投入や価格施策、拡張コンテンツを通じてロングテールで売れ続け、2024年3月時点では累計販売本数2,500万本を超え、単一タイトルとして過去最高記録を更新している。[5] グローバルヒット事例として分析されたデータでは、海外販売比率は約60%に達し、「国内中心IP」から「世界の主力IP」へと認識を変える成果を上げた。[2] メタスコア(レビュー集約指標)で90点という高評価を獲得し、口コミや配信を通じて新規ユーザー獲得の循環も生まれた。[2] 短期的な販売記録だけでなく、長期にわたり世界で遊ばれ続けるタイトルとなったことで、企業全体の成長戦略を裏付ける象徴的な成功事例となったのである。
| 区分 | 内容 | コメント | 出典 |
|---|---|---|---|
| 顧客行動 | 発売3日で世界出荷本数500万本、2018年5月時点で750万本と、シリーズ過去作を大きく上回るペースで世界のプレイヤーに受け入れられた。 | 短期間での出荷本数急増はグローバル同日発売と口コミ・動画配信の相乗効果によるものであり、タイトル単体の魅力だけでなく情報拡散の設計が奏功したと考えられる。 | [3][6] |
| 社内学び | 高品質タイトルへの集中投資とデジタル長期販売を組み合わせることで、旧作を含めたIPポートフォリオ全体の収益機会が拡大し、安定した成長モデルを描けることが確認された。 | 統合報告書などで語られる「デジタル・グローバル化」戦略の実証例となり、その後のタイトルやIP展開にも同様のモデルが適用されている。単独施策の成果というより、戦略と組織設計の整合が重要だった。 | [1][4] |
| 外部評価 | 世界的なレビュー集約サイトでメタスコア90点という高評価を得て、グローバルヒット事例として紹介されるなど、国内外のメディアからも長期的に注目を集めた。 | 高評価レビューや受賞歴は販売の一因である一方、据置機市場の拡大やオンライン配信文化の成熟といった外部要因も重なっており、単一要因では説明できない複合的な成果といえる。 | [2][5] |
要因は何だったのか
この成功の要因は、一つの施策に還元できるものではない。まず、開発・販売・マーケティングを貫く専任チームを置き、世界市場を前提に意思決定できる体制を整えたことが、戦略のぶれを抑えた。[2] 加えて、高性能据置機への集中と世界同日発売、多言語対応という「グローバルIPとしての前提条件」をまとめてクリアしたことで、口コミや配信が国境を越えて一気に広がる条件を整えた。[2][3] さらに、デジタル販売と長期運営モデルを組み合わせることで、発売後も継続的にコンテンツと施策を試し、学習を蓄積できる仕組みを構築した。[4] その結果、タイトル単体のヒットにとどまらず、次世代作品や他IPへの展開にも生きる共通の型となった。[4] 他方で、オンラインゲーム文化の成熟という追い風もあった。内外の条件を見極めたうえで、組織・商品・収益モデルを一体で再設計したことが、この物語の勝ち筋だったと言える。
この物語から学べるビジネスヒント
- 1 | 評価軸を先に決める――顧客体験、経済性、スピードなどの優先順位を明確にしておくことで、大型投資の是非を議論する際の迷いと衝突を減らせる。
- 2 | 発売後も続く物語として設計する――タイトルを単発の「商品」でなく、継続的なアップデートと学習の場として位置づけることで、投資回収の時間軸を伸ばせる。
- 3 | 組織横断の専任チームをつくる――開発と販売、マーケティングが同じKPIを共有することで、戦略のぶれを抑え、世界市場に向けた一貫した打ち手を打ちやすくなる。
どのような時に活用できるか
この物語は、すでに国内で一定のブランド力を持つプロダクトを、次の成長ステージとして世界市場へ広げたいときに最も示唆を与えてくれる。自社の強みが特定地域や特定チャネルに偏っているほど、世界同日展開のような「構造を変える一手」は大きなリスクと見えるが、同時に事業ポートフォリオ全体を押し上げるチャンスにもなる。重要なのは、開発・販売・マーケティング・運営が共有する評価軸とKPIを先に決め、段階的に投資と検証を重ねられる設計にしておくことだ。国内での成功があるからこそ安全策に流れがちな局面で、あえて世界を前提に戦略を再設計したいとき、この物語は有効な参考事例となる。ゲームに限らず、デジタルコンテンツやサブスクリプション型サービスにも応用しやすい視点である。
終章
『モンスターハンター:ワールド』は、一本のゲームタイトルを超えて、株式会社カプコンの成長戦略と企業文化を写す鏡となった。国内で築いた人気に安住せず、世界市場に向けてIPと組織の在り方を問い直したことで、同社は「Made in Osaka, loved worldwide」という言葉どおりの姿に一歩近づいた。[1] もちろん、今後も市場環境や技術は変化し続けるが、世界同日発売やデジタル長期運営で得られた知見は、新たなタイトルや他社との協業にも生かされていくだろう。[4] **一度きりの大勝負ではなく、学び続ける仕組みとして成功体験を組み込んだことこそが、この物語の本当の成果なのかもしれない。**読者である私たちも、自社の強みとリスクを見直すきっかけとして、この物語を静かに反芻してみたい。
出典一覧
- [1] 統合報告書2023|株式会社カプコン IRサイト|https://www.capcom.co.jp/ir/data/oar/2023.html|公開日:2023-06-30
- [2] グローバルヒット事例『モンスターハンター:ワールド』|株式会社カプコン IRサイト(2018年3月期 統合報告書 特設ページ)|https://www.capcom.co.jp/ir/data/oar/2018/growth/analysis_gr-hit.html|公開日:2018-06-30
- [3] 『モンスターハンター:ワールド』の出荷本数500万本を達成|株式会社カプコン プレスリリース|https://www.capcom.co.jp/ir/news/html/180129.html|公開日:2018-01-29
- [4] COOが語る成長戦略 ― デジタル戦略を継続、カプコンユーザーの拡大の先に年間ソフト販売1億本を目指す。|株式会社カプコン IRサイト|https://www.capcom.co.jp/ir/strategy/message/COO.html|公開日:2023-07-31
- [5] 『モンスターハンター:ワールド』が全世界累計2,500万本を突破|株式会社カプコン プレスリリース|https://www.capcom.co.jp/ir/news/html/240327.html|公開日:2024-03-27
- [6] 『モンスターハンター:ワールド』の出荷本数750万本を達成 カプコン史上最高本数に|株式会社カプコン プレスリリース|https://www.capcom.co.jp/ir/news/html/180508.html|公開日:2018-05-08





