会社更生から再上場まで、信頼を“設計”で取り戻した再生の型

冬の空は、離陸よりも重かった。日本航空株式会社は、会社更生手続の開始決定を受け、「飛び続ける」ためにいったん自分を解体する道を選ぶ。[1] 路線、機材、人員、年金――守るべきものと手放すべきものが、同じ机の上に並んだ。世間の視線は冷たく、社内の沈黙は長い。それでも時計だけは進む。翌年、手続は終結し、金融機関からの資金で更生債権等を一括弁済する。[2] そして2012年9月、再び市場に戻る。[4] 静かな達成の裏に、数え切れない判断と、引き返さない決断があった。物語は、奇跡ではない。痛みを見える形にし、順番を守り、約束を守り切った結果だ。
この物語の主役となる企業はどこか
これは、日本航空株式会社の物語。1950年代に民間航空の旗を掲げ、国内外の空の道を結んできた。航空運送事業を軸に、旅客・貨物・関連サービスを広く担い、国の移動の血管のように機能してきた。[4] 空港のカウンター、整備の格納庫、機内の一言。無数の接点が、信頼という見えない資産を積み上げる。そして、その信頼は一度崩れると、取り戻すのに長い時間がかかる。だが、空はいつも穏やかではない。景気の波、燃料価格、競争環境――外の揺れは避けられない。それでも飛び続けるには、機体より先に、経営の姿勢が問われる。日本航空株式会社は、公共性と市場規律の両方に耐える「会社」へ生まれ直そうとしていた。
- 危機の最中に「守る基準」を先に決めると、現場の迷いが減り、意思決定と実行が同じ方向を向く
- 痛みを先送りせず、採算・路線・人員の見直しを、資金調達と返済計画に結び付けると、関係者の合意形成が速くなり、再発防止が制度として残る
- 社会的期待の大きい事業ほど、節目ごとの説明責任を積み上げ、外部の目を味方にすると、信頼回復を数字と行動で継続的に示せるようになる
どんな問題に直面していたのか
2010年1月、日本航空株式会社は企業再生支援機構の支援決定を受け、会社更生手続の開始決定に至った。[1] その直前まで事業再生ADR手続を進めていたが、最終的には法的整理へ踏み込むしかなかった。[1] 外から見えたのは「破綻」だが、内側にはもっと複雑な矛盾があった。需要の変動に比べ固定費は重く、過去の前提で積み上げた路線網と組織が、採算の鈍さとして現れる。資産の持ち方、人件費の構造、年金負担など、長期にわたる約束が短期のキャッシュフローを圧迫しやすい。[6] さらに、公共交通としての役割が大きいほど、単純な縮小は許されない。利用者の安心、雇用、取引先、金融機関――関係者の数だけ、守りたい理由が生まれる。時間も敵だった。路線の安全運航を保ちながら、資金繰りの筋道を早期に示せなければ、取引条件は硬化し、社内の士気も折れる。放置すれば、資金繰りの不安が安全投資やサービス品質に波及し、信頼の毀損が需要をさらに細らせる悪循環になる。そして何より、社内に「次の一手」を信じる理由が薄れていく。つまり日本航空株式会社は、事業の「正しさ」だけでは続かない現実に直面していた。
どうやって解決しようとしたのか
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